偉大なる「母」の存在
今日の朝、母親に無理やり起こされて、おじいちゃんの墓参りとおばあちゃんに挨拶に行ってきた。
おばあちゃんとはラオスから帰国してから会うのは初めてで、どうやら1年3ヶ月ぶりくらいだったらしい。
なんか正直、自分はおじいちゃんやおばあちゃんに強い思い入れは無い。
悲しいことに。
でも、今日、母親と一緒におじいちゃんのお墓参りに行って、そして、毎月1回、自宅からつたない運転で一時間かけてお墓参りに行ってるのを知って、母親の中でのおじいちゃんの「大きさ」を強く感じさせられた。
違う言葉で言うと、それは「愛の大きさ」なのかもしれない。
お母さんはよく、なにか良いことがあると
「おじいちゃんが見ててくれたに違いない」
いつもそうやって言う。
それを、親父や兄貴、そして自分も、「また言ってるよ。」
と流す。
でも、お母さんにとっては、本当に本当に大事なお父さんなんだなって今日気付かされた。
そして、お母さんの口から出てくる「おじいちゃんが見ててくれたんだ」
という言葉、本当にお母さんは思ってるんだなって思った。
良く、海外に留学に行くと、日本の人の絆って深くないよねって話になる。
でも今日、母親から、家族の絆を学んだ。
日本にも、立派な「絆」があるんだって。
僕は、そうやっておじいちゃんとおばあちゃんを本当に大切にし続けられる母親を尊敬している。
ありがとう、おかあさん。